なぜ梅田は「埋田」から「梅田」になったのか?
【読了時間:約15分 / 要約のみなら3分】
この記事で分かること(3行まとめ)
- 梅田の由来は「埋め立てた田んぼ(埋田)」→ 縁起かつぎで「梅田」に
- 6,000年前は海だった大阪平野が、低湿地→田んぼ→大阪最大の繁華街に
- 2020年に発見された1,500体の人骨など、今も残る「埋田」の痕跡
大阪駅周辺の繁華街として知られる「梅田」。
春になると「梅田に梅林があるの?」と思う人もいるかもしれませんが、実はこの地名、梅とは関係ありません。
結論:「埋田」が「梅田」に変わった
梅田の元々の表記は「埋田(うめた)」。
文字通り、埋め立てた田んぼという意味です。
これは単なる伝承ではありません。2019年、初代大阪駅建設前の写真が発見され、梅田が実際に湿地帯だったことを示す貴重な証拠となりました。
補足:地名の由来には諸説あります 「埋田」説が最も有力ですが、「梅田宗庵という人物の所有地だった」という説もあります(『キタ』宮本又次著より)。本記事では有力説である「埋田」説を中心に解説します。
なぜ梅田は低湿地だったのか?
梅田が低湿地だった理由は、大阪平野の成り立ちにあります。
6,000年前は海の中
約7,000〜6,000年前の縄文時代前期、大阪平野は「河内湾」と呼ばれる海の底にありました。(国土交通省 淀川河川事務所)
出典:国土交通省 近畿地方整備局 淀川河川事務所「淀川の成り立ちと人とのかかわり」
UMEDA CONNECTによれば、梅田一帯は約6,400年前から長い時間をかけて形作られ、「梅田粘土層」と呼ばれる縄文時代の粘土層の上に、淀川が運んだ砂が徐々に堆積して低湿地帯となっていきました。
標高わずか2〜3メートル
国土地理院の地図やUMEDA CONNECTで確認すると、現在でも梅田周辺の標高は2〜3メートル程度。江戸時代には、淀川が氾濫すればすぐに水没する危険な土地でした。
出典:UMEDA CONNECT:梅田ってどうやってできた?:国土地理院ウェブサイト 明治期の低湿地データより抜粋(黄色部分がかつての湿地帯を示している)
それでも人々がこの土地に住んだ理由は水運の便。低湿地=川に近い=物流の中心地だったのです。
どうやって埋め立てたのか?
江戸時代の埋め立ては、現代のような重機はありません。すべて人力だったと考えられています。
埋め立ての工法(推定)
当時の埋め立て方法について詳細な記録は限られていますが、一般的には以下のような手順で行われたと推測されています。
-
土砂の運搬
- 周辺の高台から土を運ぶ
- 淀川の浚渫(しゅんせつ)で出た土砂を使う
-
畦(あぜ)で区切る
- 田んぼごとに土を盛って畦を作る
- 水が入らないように工夫
-
段階的な埋め立て
- 一気に埋めるのではなく、長い年月をかけて少しずつ
こうした努力により、低湿地は徐々に田畑へと変わり、「埋田(うめた)」と呼ばれるようになったのです。
なぜ「梅」に変わったのか?
「埋める」という言葉は、あまり良いイメージがありません。
- 埋葬
- 埋没
- 埋もれる
こうしたネガティブな連想を避けるため、同じ音の「梅」の字が当てられました。これを「当て字」といいます。
日本では縁起かつぎのために地名を変えることがよくありました。梅田もその一例です。
一説によると、菅原道真公が大宰府へ左遷される際にこの地に立ち寄り、一本の紅梅を眺めたという伝承があります。道真の死後、この紅梅の元に「梅塚」が設けられ、その紅梅にあやかって「埋田」が「梅田」へと改称されたという説があります(綱敷天神社御旅社)。
他にもある「当て字地名」
| 現在の地名 | 元の表記(諸説あり) | 変更理由 |
|---|---|---|
| 大阪(おおさか) | 大坂(おおさか) | 「坂」は「土に返る=死」を連想(※) |
| 目黒(めぐろ) | 馬畔(めくろ)など | 諸説あり(目黒不動尊由来説、馬の畔道説など)※1 |
※1 目黒の由来については目黒区公式サイトに詳しい解説があります。
※ 大阪について補足:「大坂」から「大阪」への表記変更は、江戸時代後期から併用され始め、明治時代に正式な表記となりました(漢字文化資料館)。「坂」の字を分解すると「土に返る(=死)」と読めることや、「士が反する(=武士が叛く)」と読めることから縁起が悪いとされ、「阪」の字が選ばれました(帝国書院)。
「埋田」から「大阪の玄関口」へ
梅田が大阪最大のターミナルになったのは、偶然ではありません。
明治政府の戦略
大阪ステーションシティの記録によれば、1874年(明治7年)5月11日、大阪駅が開業しました。
出典:UMEDA CONNECT:梅田ってどうやってできた?:内務省地理局『大阪実測図』明治21年(大阪市立中央図書館所蔵)より抜粋
大阪ステーションシティの記録によれば、当初の建設予定地は堂島でした。しかし:
変更理由①:住民の反対運動 中心市街地で「火の車が町中を走ると火事になる」と反対された
変更理由②:土地が安かった 市域外で土地が安い梅田曽根崎村に変更 梅田地区には墓地があり、駅を建設してからもなお、卒塔婆が見られたそうです
変更理由③:拡張の余地 将来的な発展を見越して、広い土地が必要だった
駅が街を変えた
三井住友トラスト不動産の記録によれば、
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1874年 | 大阪駅開業 |
| 1910年 | 阪急梅田駅開業 |
| 1924年 | 阪神梅田駅開業 |
| 1929年 | 阪急百貨店開業(ターミナルデパートの先駆け) |
| 1933年 | 地下鉄御堂筋線開業 |
駅ができると、人が集まる。 人が集まると、商業施設ができる。 商業施設ができると、さらに人が集まる。
こうして「埋田」は「梅田」となり、大阪最大の繁華街へと変貌しました。
【深掘り】今も残る「埋田」の痕跡
【時間がない方へ】 基本編はここまで。要点だけ知りたい方は「まとめ」へどうぞ。以下の深掘り編は、時間のある時にじっくりお読みください。
実は、梅田には今も「埋田」だった痕跡が残っています。ここでは、一般的な記事では触れられない深掘り情報をお届けします。
2020年:うめきたで1,500体の人骨発見
2020年8月、衝撃的なニュースが報じられました。
うめきた2期(グランフロント大阪の北側)の開発工事中に、1,500体を超える埋葬人骨が発見されたのです。これは大阪市内で発掘された人骨としては過去最大規模でした。
梅田墓地とは?
実は、この場所にはかつて「梅田墓地」と呼ばれる墓地がありました。
- 設立時期:江戸時代初期(貞享年間:1684年〜1688年頃)(大阪七墓 - Wikipedia)
- 場所:現在のうめきた2期エリア南西部
- 背景:天満周辺に散在していた墓所を、曽根崎村(現在の大阪駅前第一ビル付近)に集約移転
大阪駅が建設されてからも、しばらくは駅の近くに卒塔婆が見られたという記録があります。「埋田」という地名は、単に「田んぼを埋めた」だけでなく、人々の営みと死が積み重なった土地でもあったのです。
現在も続く「地下水」との戦い
梅田が低湿地だった影響は、現代の建設工事にも表れています。
うめきた新駅の地下水対策
2023年に開業した「大阪駅(うめきたエリア)」の建設では、地下水対策が大きな課題でした。
- 地下水位が高い:梅田エリアは今でも地下水位が比較的高い
- 水抜き井戸:1874年の初代大阪駅建設時の写真にも、地下水をくみ上げるための井戸が確認されている
- 現代の対策:うめきた新駅の建設では、JR西日本の担当者が「地下2mのところに地下水があるため、水を出さないように気を遣っている」と語っており、防水シートの設置など入念な対策が行われた
6,000年前から続く地質の特性は、150年後の現代にも影響を与え続けているのです。
「大深町」という地名の意味
グランフロント大阪がある「大深町(おおふかちょう)」という地名にも注目してみましょう。
UMEDA CONNECTによれば、「大深町」の由来は田園地帯の中でも特に泥が深い場所だったことに由来するとされています。
つまり、地名そのものが「埋田」時代の記憶を今に伝えているのです。
まとめ:不利な条件でも戦略次第で変わる
梅田の歴史は、 「不利な条件でも、戦略次第で変わる」 ことを示しています。
- 低湿地(不利)→ 駅(戦略)→ 繁華街(成功)
これは現代のビジネスにも通じます。
- 不利な立地でも、アクセスの良さで勝負できる
- 初期の安さを活かして、将来への投資ができる
- 「ネガティブ」を「ポジティブ」に変える戦略(埋田→梅田)
次に梅田を歩くとき、「ここは昔、低湿地だったんだな」「この地下には6,000年分の歴史が眠っているんだな」と想像してみてください。街の見え方がちょっと変わるかもしれません。
もっと深く知りたい方へ(参考書籍)
本記事で紹介した内容をさらに深く学びたい方には、以下の書籍がおすすめです。
梅田・大阪の歴史を深掘りしたい方
📚 『キタ -中之島・堂島・曽根崎・梅田-』 宮本又次 著(ミネルヴァ書房、1964年)
レファレンス協同データベースでも引用される専門書。梅田の地名由来だけでなく、大阪北部エリアの歴史を網羅的に解説しています。
📚 『意外な大阪の「駅」のナゾ』 米屋こうじ 著(天夢人、2023年)
大阪の約500駅から厳選した「駅のナゾ」を紹介。放出(はなてん)などの難読駅名の由来から、大阪駅・梅田駅の歴史まで、ディープな鉄道マメ知識が満載です。
地名の由来に興味がある方
📚 『大阪の地名由来辞典』 堀田暁生 編(東京堂出版)
大阪の地名の由来を網羅した辞典。梅田以外にも、大阪の様々な地名の歴史を知ることができます。
📚 『東京の地名由来辞典』 竹内誠 編(東京堂出版)
本記事で紹介した「目黒」の由来など、東京の地名についても詳しく解説。大阪と東京の地名を比較すると、日本の地名形成の共通点が見えてきます。
参考資料
公的機関・研究機関
- 国土交通省 近畿地方整備局 淀川河川事務所「淀川の成り立ちと人とのかかわり」
- レファレンス協同データベース「梅田の地名は埋田という地名が由来」
- 水都大阪「古代大阪の変遷」
- 目黒区公式サイト「目黒の地名の由来」
辞典・資料サイト
- 漢字文化資料館「『大阪』は昔は『大坂』と書いていたそうですが、いつから、なぜ変わったのですか?」
- 帝国書院「大坂城の”坂”の字は、いつから”阪”と表記されるようになったのですか」
- 大阪七墓 - Wikipedia
企業・公式サイト
- 大阪ステーションシティ「梅田の歴史を振り返る」
- 大阪ガスネットワーク エネルギー・文化研究所(CEL)「梅田の歴史を振り返る」
- UMEDA CONNECT「梅田ってどうやってできた?」
- 阪急阪神百貨店「阪急百貨店会社設立まで」
メディア
- 梅田経済新聞「『梅田は埋田だった』証拠写真見つかる」
- 三井住友トラスト不動産「このまちアーカイブス 大阪 梅田」
- 乗りものニュース「かつて『梅田』は『埋田』だった」
- 産経新聞「うめきたで人骨1500体超発見」
- マイナビニュース「JR西日本、大阪駅北側『うめきた』新駅は2023年開業へ」
- 北区名所八十八景「綱敷天神社御旅社」
関連施設
この記事を書いた人
関西出身・東京在住のエンジニア。QRコードを編み物で再現するプロジェクトに取り組み、技術書『QRコードを編む』を執筆。深掘りと手作りが好き。
📖 技術書を見る | 🧶 megusunuLab